日语写作201*-9-21
まえがき
日语写作应该怎样教,这是一个困扰我国日语教育界多年的老话题了。
日语作文教学日益忽略与学生的情感沟通,感觉不到学生自我的存在。“我想,我写,我读”。首先激活学生用日语表达的欲望,只有自己想写了,才有可能写好。“我写”作文是学生自己写自己,而不是揣测和代表社会,学校,老师的想法,写他人眼中的世界,或者写社会一般道理。只有我主导我自己写,代表我个人写,才有可能说真话,表真情,而不说假话,空话和大话。“我读”包括作文的完成后的检查,修改,交流和分享等行为。其目的在于让学生通过对成果的品位实现“快乐作文”。我们以往的日语作文指导往往注重对结果的模仿,忽视了对写作过程的指导。本课试图先从日语与中文语法,词汇区别的角度,练习书写简单的句子,举出文章中常见的表述形式。然后,分记叙文,说明文和感想文逐一展开说明。
作文の授業(201*年 二年生)
授業の基本方針
文章を作る方法とテクニックを教えて、視野を広めたい。着目点は、転換点。角度のチェンジ。視角を変える。広く浅く渉猟する。
第一回目の授業(9月7日)
作文の授業について説明した。
日本語の発音の稽古、材料と構造からセンテンスとパラグラフ(「トピック?センテンス」と「サブ?センテンス」)という基本内容を紹介したうえ、作文と小論文(テーマ論文)乃至卒論までの要点を抑えた。
その中、作文と小論文との違いは必ずしも明確ではなかった。本授業の目的は卒論という最終的な目標は明確になったということである。
第二回目の授業(9月14日)
今度は、やる気と元気、また、モチベーションの育ち方、それを実現するために、NHKスペシャルの放映が必要。自分の生きがい。その次は、作文の基礎知識を説明する。→材料(語彙)
○漢字語(中国人学習者にとっては落とし穴である)
漢字語に注意してもらいたいこと。「邉訂T」「放心」「大袈裟」など。
→思い込みは禁物。
○敷衍と具体化
また、日本語の表現上における敷衍?抽象?曖昧という言葉に対する中国語対応分(訳文)の具体化。逆に考えると、具体化(やや難しくて複雑な中国語の表現は、できるだけ簡単な易しい日本語で書いたほうがいいということである。辞書で調べた日本語よりすでに身につけた日本語で書く方が自然である。
第三回目の授業(9月20日)
ウォーミングアップ
原稿用紙で書く。原稿用紙の使い方。学生に澶摔ⅳ搿冈逵眉垺工藭い皮猡椁Α!h明。
添削の後、パソコンにイン?プット。学習委員によって収集、先生に転送。
作文:テーマ「私は美しいと思うこと」(400字。20分)(切り口。手法の説明) 内容に関して:
以下の基準を参考に良し悪しを判断する。
?起承転結の承もしくは転の部分に学生自身が「なぜ」の問いができている事とその答えを自らの力で(答えを)出している事(その際、世の中で広く言われている一般論的な答えは作文では不適切である)
?その内容(こと)に関してメリットとデメリットが挙げられている
?テーマに沿い結論まで達していること(最初の内容と結論に矛盾がないこと) ?テーマに沿った話題選びをしていること
?主に承転の部分において話題が多すぎないこと(400字詰めの作文の場合、話題は1つもしくは2つまでと考える。それ以上になると知識の羅列に過ぎないと考える)
○日语写作的基本要求:
1. 稿纸的格式(横書きと縦書き)
2. 标记规则
3. 主要标点符号的用法及其功能(利用稿纸对照说明)
4. 「だ?である」体がベスト
5.日本における記述試験では「ます/です」体で書かれた解答にも6点(最高
点)評価が出ているので、文体による評価の差はないようです。しかし、大学
受験の小論文から卒業論文、修士論文、博士論文まで「だ?である」体で書く
のが原則なので、4級試験の作文も「だ?である」体で練習した方がいいだろ
う。
○「です?ます」と「だ?である」の使い分け
文章を書くとき、まずは一つの選択をする必要がある。敬体(です?ます)を用いるか、それとも常体(だ?である)を用いるかだ。
特定の人に呼びかけるときには敬体を用い、不特定の人物に対して公的に書くときには常体を用いるというのが原則だ。したがって、手紙などは敬体で書き、エッセイや小論文などは常体で書くのが一般的だ。
○常体
昔々、あるところに男と女がいた。男は山に行った。女は里に行った。男が山道を歩いていると、向こうから見知らぬ老人が歩いてきた。男は老人にどこから来て、どこに行くのかをたずねた。だが、老人は何も答えず、ただ首を振るだけで歩きつづけた。男は不思議に思ったが、そのまま山に向かった。
○敬体
昔々、あるところに男と女がいました。男は山に行きました。女は里に行きました。男が山道を歩いていると、向こうから見知らぬ老人が歩いてきました。男は老人にどこから来て、どこに行くのかをたずねました。だが、老人は何も答えず、ただ首を振るだけで歩きつづけた。男は不思議に思ったが、そのまま山に向かった。
○日本語の作文では話し言葉は使わない
口語体と文語体(一部)の比較 いいー良い 一番―最も けれどもーが からーのでじゃないーではない ぜんぜんーまったく いろいろーさまざま ちょっとー少し
たくさんー多くの とってもーとても こんなーこのようなでもーだが/しかし
たぶんー恐らく ちゃんとーきちんと すごくーとても/非常に なんか/なんてーなど だからー従って ~とか~とかー~や~など はっきりー明確 やっぱりーやはり
みたいにーように どっちーどちら けどーが/けれども どんどんー次第に
ぺらぺらー流暢に ですかー(の)だろうか 美しくてー美しく(形容词的中顿都是此用法) ているーており(动词的中顿都是此用法)
○もうひとつ大切なのは、論文では話し言葉専用の語や擬声(音)語、擬態語を使わないことです。
○「それ」「その」(指示語)は必要最小限に使う
「それ」「その」などの指示語は、多用するとつながりがわかりにくくなるので、必要最小限に使った方がいいだろう。
○面白い文章の条件
A、読み手とは異なる意見や根拠がある
誰もが当然と思っていることに反対する、誰もが信じている「定説」に疑問を投げだす、(第五冊の練習)といった文章も面白い文章だ。もちろん、それに説得力がなければ、単なる偏屈にすぎないが、説得力があれば「なるほど、そうか」と思わせることができる。 立場の問題:自分の立場をはっきりさせる
人と違った文章を書くには、自分の立場を明確にすることも大切だ。物事を客観的に見ようとすると、さまざまな面があるために何も言えなくなってしまうことがある。だが、新聞記事を書いている人間でなければ、必ずしも、物事を客観的に捉える必要はない。自
分の立場から物事を考えればよい。
なぜ、自分の立場から物事を考えればよいのか。たとえば、主婦の視点や地方に住んでいる人の視点、あるいは高齢者などの視点から考える。そうすることによって、人と違った意見を示すことができる。同時に、自分の「売り物」ができる。立場を決めることで方向性を明確にできる。「私は大学生の立場で考える」とあらかじめ決めておけば、その関連の問題が大学生にどのような観点を持っているかを中心に考えて、自分の立場を鮮明にできるのだ。
B、全部を書かずに、一つに絞って書く
何を書くとき、全部を書こうと思わないことも、大事な点だ。
日常的な場面を思い浮かべていただきたい。旅行会社のガイドがお客さんに注意を予備かけるのに、「集合時間を厳守すること、遅刻をしないこと、バスに忘れないように手荷物をチェックすること。それから、部屋の冷蔵庫の中のものを絶対食べないこと、朝ご飯の時間は7時から8時半までのこと、お部屋の電話で国へ電話するとき、自費でお願いいたします……」といくつものことを言っていたのでは、間違いなく、お客さんたちに注意事項を覚えてもらえないのだろう。
C、たとえ話で相手に理解させる
作文の中で、話を理論的に展開したり、難しい専門的な言葉を使って表現していくと、なかなか相手に伝わらず、「ぼんやり」とした表情をして読んでいる人がいる。
こんな時は、たとえ話を入れ込んで書くと、読み手もよく理解してくれるだろう。抽象的、概念的な言葉は実態をつかみにくいだけに、具体的な話が伴わないとその内容が理解しにくい。自分の作文の内容がよく理解されていないなと思うなら、身近な例を使って説明し上げるとよい。そのためには、日ごろから、このような例は、こんな作文の内容のたとえに使うと効果的だと研究を重ねておくようにしたい。
○作文の評価基準(採点基準)
日本語で作文を書く以上、日本語の発想で、できるだけ日本人の発想で、少なくともそれに近い考え方で、思考様式で文章を作成する方がいいだろう。
「(財)日本国際教育協会」により、公表されている採点基準
1. 文法的能力(3~0点)
3点:個々の文についても、文章全体についても、執筆者の意図が明快に理解可能であるもの(文法?表記上の軽微な誤りや文体上やや不自然な点は許容する)
2点:文法?表記上明らかに適切でない点を含むが、文章全体から執筆者の意図は明快に理解可能であるもの。
1点:文法?表記上明らかに適切でない点がかなり目立つが、文章全体から執筆者の意
図を想像することは可能であるもの。
0点:意味不明の文が多く、章全体から執筆者の意図を理解することが不可能または極めて困難なもの。
2. 論理的能力(3~0点)
3点:主張に根拠が示されており、かつ、主張と根拠との間に十分な論理的関係があり、矛盾が認められないもの。
2点:主張に根拠が示されており、概ね論理的な関係が認められるが、一部に論理的矛盾や非整合性も存在するもの。
1点:主張は示されているが、その根拠が示されていない、又は、根拠が示されていても、論理性?客観性を著しく欠いているもの。
0点:筆者自身の主張が示されていない、又は、何を主張したかあいまいであるもの。
ダッシュ(―)は、形式ばらない場合にカッコ(後出)やコロンの代わりに使われる。その理由の一つは、きちっとした文にすると複雑な構造になり、読みにくくなるものが、ダッシュを使うと比較的スラリと読めるようになるからである。
例えば、そういう文章を書くことを目標において、読みにくい文章―一括して難読文と呼ぶ―の読みにくさの要因を検討しよう。
これは、日本語には欧文の関係代名詞に相当するものがないことと関連している。ダッシュは、上の例のように挿入節(句、語)を両側から挟んで使うのが本来である。
「その影響で、文章でも、日本人はポイントを最後に置く方が書きやすいのだ―と私は考える。」この文はダッシュを取ってしまっても(あるいはダッシュをコンマで置き換えても)読める。しかし、ダッシュで一息入れてそこまでの文をまとめてから「と私は~」と受ける方が読みやすくなる―と私は思うのである。→総括のダッシュ
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